DIARY

「良い子」という足かせ

自分の首を締めているのは、自分かもしれない。ふと思ったのでこの記事を書いています。
摂食障害と直接関係はないかもしれないのですが、私は「良い子」から逸れることがひどく怖いです。要は承認欲求が高く、自分の本音や気持ちは二の次。人から「どう思われるか」「どう必要とされるか」が大事過ぎて、どんなに苦しくても、やりたくなくても、首を縦に振るイエスマンです。

小さい頃は、ピアノをやれと言われたら興味がなくても練習するし、勉強しろと言われたら100点を取るまで自分を責め続けました。100点以外殴られるので、そうせざるを得ない環境だったのですが、それでも「頑張れる素質」はあったと思います。そして何だか、摂食障害になる人はそういう頑張り屋さんが多いように思います。完璧主義で全力疾走ができて、そんな人だから、体重にもカロリーにも囚われやすいのかもしれません。

私には、個性がありません。例えば絵を書けと言われても、オリジナリティがないので結局何かをトレースしてしまいます。
自分の考えをアウトプットすることもとても怖くて、映画を見た感想や、学校の宿題だった読書感想文も、インターネットで感想を調べてから、自分が書こうとしているそれが「一般的なのか」「的外れじゃないか」を確認しながら組み立てていました。

私が唯一、思い通りに扱えたのが「体重」でした。
摂食障害こそが私の個性で自我で、だから手放すことが怖かった。
コントロールする術=嘔吐とお別れして、またビクビクしながら、必死で頑張り続けながら生きていくことが怖かった。
「何者にもなれない自分」を受け入れたくなくて、でも何かを持っているものもなくて、自分の考えなんて、一ミリもありませんでした。

これは摂食障害の症状がでなくなった今も続いていて、自分を理由にすることが苦手です。自分の「感じたこと」を誰かに話すのが苦手です。

じゃあどうやって生きていけば良いのか…練習と経験だと思います。

今でもことあるごとに、大丈夫だと言い聞かせているし、飲み込もうとした言葉を、ゆっくり相手に伝えるように心がけています。

あと、「のうのうと生きてる」ことは、ネガではなくポジな事象ではないでしょうか!
何かを成し遂げられなくても、残せなくても、いずれ失う若さに焦らなくても、実は器用貧乏なことって、意外と重要です。
社会に出てみると、いろんな人と接すると、誰かを慮ったり、まんべんなく70点でこなせたり、そんなことが強みになることを知りました。

必要としてくれる人を疑うのではなく、そして空っぽな自分を焦るでもなく、いまのままで「大丈夫」だって、そう思いながらこれからも日々過ごしていきたいです。
体重が増えても、死ぬわけじゃない。もし太りすぎたと思ったら、そこからいつだってやり直せる。時間、友人、そして自分自身。摂食障害に奪われたものは、今から取り戻せば良いんです。

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