DIARY

比べて比べて、また比べて

私は摂食障害になる前から、誰かと比べて、落ち込んだり安心したりを繰り返していたと思います。
「自分の価値は自分で決める」と、どこかの誰かが言っていたような…そんな台詞は上滑りするだけで、価値なんて捻出できないから、人と比べて優位なことしか信じられない、と思っていました。

でも、自分は「特別」だと思いたくて、特別になれば愛されると信じたくて、理想と自分のギャップが開いてくるにつれて、摂食障害にすがってしまう構造がありました。

絶対評価じゃ意味がない

ちょうど学校も、相対評価から絶対評価に変わる時代を生きていたのですが、
「一人ひとりを評価するなんて、嘘だろう」「何を基準に…?」と考えていました。結局比較で点数付けてるのだと、今でも思っています。

テストの点数は100点でも、嬉しいではなく、自分を認めるでもなく「殴られない」という安堵があるだけでした。
唯一私が勝てる見込みがあったのが、体重と細さだったんです。

比べるには明確な基準がないといけません。例えば家庭環境とか、点数とか…
その人の内面にある、信念だとか、自己認知とかはそっちのけです。
目に見える数値を、ただその人のものとして、点で切り取って、勝ち負けで優劣を決め過ごしていました。
少しでも優位なものがあると、許される気がしました。

同じ年齢・性別の人をネットストーキングすることが辞められなかった。自分に何もないからです。

「普通」は嫌だ

普通ってなんだろう、とは思うのですが、
漠然と、普通に生活しているだけでは駄目な風に思って成長してしまいます。
それは一種の希望で、普通だから不幸になったんだ、もうすこし頑張れば愛されるかもしれない、という蜘蛛の糸です。

得意科目なし、趣味もなし、これといってできないこともないが、秀でたものはなし。
何にも熱中できず、ものにできず、でもどこかで「自分は特別になれる」と思う気持ちを捨てきれません。

そのままの自分で良いと思えず、過活動や予定をギチギチに入れないと安心できなくなります。
他人のことを考えているようで、結局自分のために何かをする日々が続いて、限界を迎えることとなりました。

受け入れる?諦めれば良いんじゃ

自分の使命や、夢を基軸に、「今、私はどれだけできているのか」と自己完結で比較をするやり方なら、優劣を見つけるサイクルから抜け出せるのではないか。そう思ったこともありました。

でも、私には夢も目標もなく、そういう自己啓発本を読むたびにとても落ち込んでしまいます。

なんで今、悶々とした日々からは抜け出せたのでしょうか。
見えるものを比べず、過ごすことができているのでしょうか。

持論なのですが、一種の解は「手放す」「諦める」から始まるのではないかなと思います。
「特別じゃなくても死ぬわけじゃないし、今一緒にいる人と普通に息できれば良いや」
と力が抜けていき、あの頃の苦しさはすっかり影を潜めてしまいました。
だらだら「でも生きちゃってるし」という状況なのですが、嫌いじゃありません。

摂食障害のときは、考えなくて良い不安や恐怖が沢山ありました。
明確な目標や、何者かにならなくては…という焦りは、実は全部いらないと思います。

だって今私、普通に生きている。


役割とか、目的とか、比較とか、真面目すぎて背負いすぎて、気負いすぎて、きっと摂食障害を悪化させてしまう人が多いと思います。
ただそこに、存在しているだけで重みがあるんだと、何も考えずに大丈夫と言ってみてください。

友達から言われて、なるほどなと思ったことばがあります

「人はおぬ氏の体型なんて見てないよ」「世の中以外と無能が多い」

言われたシーンは違いますし、後者は暴力的なのですが、、
勝手にライバルと思っている人は、自分には興味がないと思うことで比較のループから抜け出すことができました。
また、生きていて良いのかなと思ったり、仕事でいやなことがあったときも、いや実はみんな無能でしょ?と乗り切ることができました(笑)

語弊があるかもしれませんが、自分への期待値を下げ、諦められれば、
結果小さなことにフォーカスできる人生を歩めると思います。
例えば親に挨拶してみるとか、ちょっと髪の毛がうまくきまったとか。

毎日朝起きるだけでえらいんです、コウペンちゃんも言ってました。

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