DIARY

盆と正月くらい、親との関係を振り返る

お盆なので、実家に顔を出す予定です。
摂食障害になる人は、機能不全家庭で育っているケースが多いと聞いたことがありますが、例に漏れず私もまっとうな家庭では育っていません。
何が嫌だったのか、定期的に振り返って咀嚼を試みるものの、30を超えた今でもDVのフラッシュバックに苦しむことがあります。

私は、自分の父を「お父さん」とは決して呼べないし、彼が今どこで何をしているか知りません。
そして、知る勇気も持ち合わせないまま、ここまで生きてきました。
一時は「会わないと…」「克服しないと…」という一種の義務感と強迫観念から、努力をして、でもやっぱり嫌で食べ物に逃げて、ということを繰り返していました。
0か100の考えです。良くない癖だと思います。
会って話をして、許すことが必ず必要だと、私は思いません。

幼少期、優しい父の記憶

私が小学校低学年のとき、父は普通の会社につとめていました。
帰りが遅い日は、幼い弟を寝かしつけ、母と2人で待っていた記憶があります。
小さいテレビで野球を見ながら、牡蠣の土手鍋を食べ、雑炊を分けてもらった幸せな記憶が、すごく鮮明に残っています。
休日はキャッチボールをよくしていました。海も公園も近かったので、お弁当を持って芝生にピクニックもよく行っていました。

アルコール、ニコチン依存症

いつしか父は仕事を辞め、朝からビールを飲むようになりました。
飲酒するとイライラするので、タバコを吸う。無限ループです。
当時は自販機でタバコを買うことができたので、よく使いっぱしりしていました。
同級生に見られないように、走って。走って。
マイルドセブン、ソフトケース、ライト、間違えるとぶたれるので、必死で覚えました。

暴力によって管理、支配された家庭

水に沈める、殴るといった身体的な暴力も十二分に辛いものでしたが、どちらかというと怒鳴りつける言葉の暴力や、精神的にダメージを与えるやり方の方が倍々で辛かったです。

見え見えの家庭内暴力から、助けてくれる人はいません。
一度警察を呼ばれたこともありますが、民事不介入でなあなあに。
父方の伯母とおじは、教員と教頭をやっていましたが、私が怒鳴られるのを見て見ぬふりしていました。
血族や護ってくれる警察ですら打破できないのだから、もう一生この檻の中だと思った記憶があります。
全員が暴力によって支配され、逆らえなくなっていました。
また、このとき言われた「ぶす」「ブタ」「デブ」の言葉が、私を蝕むこととなります。

褒められない、認められない

テストで90点を取ると、「嬉しい」ではなく、「ほっと」していました。
褒められることはなく、なぜ間違えたかの反省文ばかり。
娯楽も禁止で、たまに見る教育テレビですら、見終わったあとに問題が出され、正当しないとぶたれていました。

弟は私と対象的で、お咎めのない生活を送ります。この差別が、私が弟を憎むきっかけになりました。
「協力して、異常な家庭から逃げ出そう!」ではなく、姉弟間でいがみ合うよう仕向けるのは、今思うととても戦略的だなと思います。結果1人1人が苦しむこととなります。

母への不信感と憎悪

助けてほしいと伝えても、母が離婚に踏み切ることはありませんでした。
ある日母のガラケーに届いたメールを見ると、そこには不倫の形跡が。手が震えて、汗がこめかみを伝うのがわかりました。

結局、私が嘘を吐いて進学塾をサボったことがバレ、命の危機を感じて母方の祖父の家に避難したことが離婚のきっかけになっています。

片時も自由がなかった私は、ときどき学校や塾をサボり、図書館や海に行っていました。
当時「イグアナの娘」というドラマがあり、娘を愛することができない母親と母から愛されない娘、両者の苦悩を描いた作品なのですが、海へ続く階段を一段ずつ下って、入水自殺をしようとするシーンがあります。いつもこの場面を思い出していました。

全員不幸になれ!

離婚は高校2年生の冬でした。「今更」という感想しかありません。
大学生になったら1人暮らしをするためにお金も貯めていたので、たかが1年早まった程度。
部活は辞めさせられ、学校には押しかけられたため友達も少なくなり、青春は奪われ、
自由を持て余していきます。

この後摂食障害になるのですが、母にも弟にも「不幸になってほしい」と心から思っていました。
2人は今も父と連絡を取っていると思います。
一度電話に出てほしいと言われ、受話器を取りました。そこにはただ弱々しく、「あのときはおかしかった」と謝る父の姿がありました。
私はいつまでも許せず、誰も許せず、摂食障害を悪化させていきます。


私が一番欲しかった言葉は、「よくやったね」「大丈夫だよ」「愛してるよ」のたった3言です。
それを言われず、認められず、ここまで苦しんできました。

今は弟も結婚し、穏やかになっています。
母との付き合いも、もう年老いてしまったので、同情まじりでうまくやれるようになってきました。
父とは、もう10年以上話をしていません。生きているのかも分かりません。

また別の記事にしようと思っていますが、私は摂食障害が寛解していく中で、自分との向き合い方や他人の言葉に耳を傾けること、想像することを学びました。
だいぶ遠回りさせられたけれど、家族のことや、これまでの経験を悔やんでも仕方がないので、今日も笑顔で実家に足を運ぼうと思います。


私でよければお話しましょう:D

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